自由記述

"好き"の 冷凍保存。

異担児日報から考える ~面の話~

 

ジャニーズWeb内の7 MEN 侍の連載『異担児日報~侍ふ~』の5/26に更新された矢花くんの記事を読んだ。

有料サイトを全部載せるわけにはいかないので、概要は以下の通り。私の言葉になってしまってるので読める人は矢花くんの言葉で読んで欲しい。

SNSでの人格は「限りなくその人に近い何か」

・みんなの中に形成された「矢花黎」が時々自分と乖離してる気がする。

・誰しも家族や友達、仕事場などいろんな”面”がある

・自己像と理想像の乖離に苦しむことがあるが近づけられるように活動していきたい

 

正直、これを読んだ時心がヒュッとした。

 

理由は2つある。

 

1つ目は、私が見ている『矢花黎』が、自分と乖離していることがある、と矢花黎本人の口から発せられたから。

常々アイドルである推しを好きな理由を考えた時に『”私が理想とする”アイドル像と”推しが作っている”アイドル像が一致しているから』だと思っていて。”この人はこういう面を見せてくれるんだ!”そしてそれが私の見たいものと一致しているから楽しくて好きなんだなと思ってる。あくまでも自担や推したちが見せてくれるものって作られたものというか、こうでありたいという希望が込められていたり、プロデュースされたものだなっていうのは分かってた。

ただ、これってついつい忘れがちだと思う。なぜなら私が見てる矢花くんの面って”アイドルである矢花黎”の一面しかないから、それが矢花黎の全てだとつい錯覚してしまう。そう思うこともある程度は仕方ないことだと思う。いや、思っていた。

でも、いざ本人から私たちが見てる矢花くんは、矢花くんが思う自分と違うと言われると、そうだよね!!!!忘れちゃいけないよね!!!!って自戒した。改めてあくまでも私は矢花くんが見せてくれる”アイドルである一面”が好きなんだなあと思う気持ちは忘れたくないなと思った。私たちが見ている矢花くんが彼の全てではなくて、全て知りたいと思うのは違うんだよって。

同時にこの好き!って気持ちの理由もあくまでも私が思う理想と一致してるからであって、自担や推しそのものが好きっていうのとはまたちょっと違うよなって改めて思った。そもそも「そのもの」を知らんし。(それこそ前に芦田愛菜ちゃんが言ってたのってこのことだと思っていて。)

別に自分の理想と一致してるから好きって理由でも全然いいんだけど、自担のことを好きじゃなくなってしまった時にこの気持ちを忘れてると『なんでそうじゃないの?』ってなるじゃん。あくまでも彼が変わってしまったんじゃなくて自分の理想が変わっただけなんだなって思ったら幾分気持ちが楽になるから、これも合わせて忘れたくないって思った。

 

2つ目は、矢花くんの思う乖離がいずれ大きなものにならないかな、それに囚われてしまわないかなって心配になったから。

余計なお世話だよ!!だし、これこそが彼の思う自己像とかけ離れてるかもしれないけど(笑)

自分でネガティブなの自覚してるし、悩むのも含めて自分って思えてたりするのかもしれないけど、モンペなので!!!!!!!色んな声に囚われないでねって思ったり。

 

結構難しいテーマというか、人の声や人からの心象をどう捉えるかって永遠の課題だし、私たち一般人よりも外野の声が大きく鋭く届いてしまうから、自衛して欲しいし流せるとこははいはいって流して欲しいなって思う。もちろん届く声が冷たいものばかりではないし、あんまりぬるま湯に使ってると向上心(?)とか失われるかもしれないけど。これは矢花くんに限らず私の好きな人達みんな上手にやって欲しいなと思う。不必要に傷つかないで欲しいし、私は好きな人には優しい声だけを届けていきたい。でろでろに甘やかしていきたい所存。

 

 

 

色々考えたけど、正解はないしシンプルに矢花くんの物事を深くいろんな面から考えられるところが好きだなと思った、結局ね。やっぱりブログって形で誰かの言葉のフィルターを通さない本人の声が届くって嬉しい。今までこんなにアイドルのブログで考えさせられることなかったぞ!?新時代アイドルの爆誕だよ!!!!(?)

これからもアイドルである矢花黎の一面の中のいろんな部分を見せて貰えたら嬉しいなと思う。